DINKS(選択子なし)が語る、子なしの人生に後悔する6つの瞬間

DINKSとは選択子なしとも呼ばれる、子どもを持たない共働き夫婦のことです。

一般的には、「結婚したら子どもを持つ」ことがあたりまえ。「普通」と言われない人生を選択したDINKSは、たくさん悩んで、話し合って、この選択をしてきたはずです。

そんなDINKSにまつわる情報は少なく、自分自身が新婚時代に、あまりの情報の少なさにこの先の人生大丈夫なのか、心配になり、悩みました。DINKSがどういうときに、DINKSであることに後悔するのか、悔やむのか、気になりました。

結婚当初から8年以上の時間が経ち、私も30代になりました。30代DINKSである私が、DINKSであることに、悔やんだ瞬間をご紹介します。

まずは結論から!

・後悔することはあってもやっぱりDINKSで良かったと思う

・DINKSなりたての20代の私が想像した後悔するであろうことは想像通り

・ただし、悔やむ気持ちも繰り返すうちにその痛みに慣れるから大丈夫!

友人に子どもができたときの複雑な気持ちと自己嫌悪

友人に子どもができたときは、最も喜ぶべき瞬間であるはずです。特に、30歳前途に結婚する人が多いことから、30代になると、子どもを産む友人が一気に増えます。

心からおめでとう!!!

と言ってあげるべきでしょう。でも、心から喜ぶことができない自分がいます。DINKSである自分と友人と、埋めることのできない距離ができることが、怖いのです。真っ白の心にはなれなくて、心に「寂しい」というグレーな気持ちがでてきてしまいます。

友人の幸せさえも、心から喜べない自分に自己嫌悪。

子どもを産んだら、子どもがいない人生に戻ることは、一生ありません。もちろん、子持ちも老後は二人暮らしに戻ります。でも、子供や孫の有無によって、人生感は異なるでしょう。

友人に子どもができたとき」それは、これまで共に、同じ世界で悩みを共有しあった同志が、DINKSである自分とは、一生わかりあえない、別の世界にいってしまう瞬間なのです。

子持ちの友人は、きっと子どもの悩みをママ友たちと共有していくのでしょう。そして、私はそれに一生共感することはできない。寂しくないと言ったら、嘘になります。

友人に「おめでとう!」という言葉を口にする瞬間の複雑な気持ち。そして、常々自分が嫌になります。

子持ちの友人が子供の話をしにくそう

友人の心遣いが苦しいことも、自分がDINKS・子なしであることに、もやっとする瞬間だったりします。

子どもができたときも、私にだけ言ってくれません。言いにくかったのはわかるけど、出産報告で初めて聞いたときは、悲しかったです。会ったときも、できるだけ子どもの話題にならないようにしている子持ちの友人に、とても申し訳ない。

正直、子どもという存在は、私の人生には一生深く交わることはない生き物です。子育ての悩みや喜びに、共感もできなければ、関心がないのも事実です。ただ、ひとりの友人の人生として、友人の近況には関心があります。友人の話が聞きたいです。

私は、友人が子どもを産んでから、何となく話しにくい空気ができてしまった気がします。私が壁を作っているのか、友人が気を遣っているのか。どちらなのかもわかりません。友人の、子どもを産まない私に対する配慮。その気遣いが、もどかしく、心苦しい。私はどう反応すればよかったのか、友人と集まった後は自問自答し、過去の発言に後悔することもあります。

子なしの人生は、子どもがいないことでの寂しさではなく、周囲との距離で寂しさを感じることが多いかもしれません。

「当たり前の幸せ」じゃない感があるとき

幸せな家族の絵には、必ず子供が描かれています。そんな家族にも、きっと苦悩はたくさんあるのでしょう。私は永遠に、夫婦二人で共働きDINKS。二人で過ごす毎日は幸せです。

それでも、夫婦二人の絵は、家族としては不完全な幸せな絵。他人に「子どもがいない」というと、申し訳ないような、残念そうな顔をされます。「子どもはいらない」というと、それはそれで、不快そうな顔をされるのです。

とにかく、子どもがいないことは、マイナスであり「何かが欠けている」とされることばかり。

「他人と同じ」が嫌いな私にとって、「みんなと違う」は、嫌いな感覚ではありません。でも、負けず嫌いな私としては、子どもがいないことで、負けた気がしてしまいます。そして、どこかで必死に勝ちに行こうとしている自分の姿勢に、嫌気がさして悲しくなることがあります。

ちょっと子どもも可愛いかなと思うとき

私は子どもが産めない・嫌いと公言してはいますが、子どもが常にかわいくないわけではありません。

子どもを好きになるなんて、いまさらであり、今後の子なし人生が苦痛すぎる、という強がりが含まれています。「自分の気持ちに素直でありたい」、「他人をねたみたくない」という姿勢が、自分を余計な殻に閉じ込めてしまっていることを否めません。

それでも、許すわけにはいかないのです。子どもが可愛いと思う感情も、子連れ家族をうらやましいと思うことも、私の人生に何のプラスにならないのだから。そして、こんな気持ちと戦う恐怖が、私と子持ちの友人との距離を広げてしまっているのでしょうね。

子どもが産めなくて、子どもがほしい人はDINKSの定義に入りませんが、私は産めないし、子どもはいらないと思う派です。でも、時々「子どもがいる人生もいいんだろうな」、「いらないという気持ちは、ただの強がりだったかな」と思ってしまうのです。

産まない人も、産めない人も、そんな気持ちと戦うことはあったりするのではないでしょうか。

アンチDINKSの記事をネットで見かけると苦しい

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子どもを持たずにリッチに暮らすDINKSには、社会的な批判が多いです。

「子どもを産まないなんて、ありえない・気持ち悪い」という感情論から、「DINKSのメリットはお金だけ」、「子どもがいない大人は半人前」、少子高齢化に対して貢献できない「社会のごみ、自己中だ」という意見など、たくさんの批判。親族から圧力を受けることも多いでしょう。

……仰ることはわかります!

ただ、そこにはいろんな人生の過程があり、悩みがあり、一人の人として、その人生をどう歩むのか決めるのは、みんな自分自身である、ということでおさめてほしいです。

人ってないものねだりなんだなと、子持ちと子なしの議論を見るといつも思います。

人間って大変だなと思い、そっと、自分の心を落ち着けています。DINKS批判については、以下でまとめてみましたので、ぜひ見てみてください。

養子を薦められることがやたら多い

DINKSとやや毛色が違いますが、私は養子を薦められるのが苦手です。20代、30代で出会って数回の人には、油断すると息をするかのように子どもの有無を聞かれます。

〇〇さん、お子さんは?

一生夫婦二人で暮らしたいと思ってるんです。それに、私子ども産めないんですよね~(はっきり伝えて、早めに切り上げよう。)

そ、そうなんだ。今は養子っていう手もあるよ。

こんな会話を何度したことでしょうか。子どもが嫌いというと、子どもはいいよと言われます。子どもが産めないというと、養子があるよと言われます。

私は、子どもが欲しいとは一言も言っていません。ただ「まずい人に、まずい質問しちゃったな~。」という、気持ちを薄めるために、取り繕う気持ちで「養子」という言葉が出てしまうんですよね。

この会話やこの感情が嫌なので、私はできるだけ初対面の、できるだけ早いタイミングで「子どもが産めない・かつ子どもが好きでないのでほしくもない」という話をすることに決めています。

でも、日本では養子を持つことは全く一般的ではないし、簡単なことではありません。子どもを育てるというだけでも大変なのに、それに加えて養子であることを言うのか、産みの親に会いたいと子どもが言うのかなど、養子ならではの特殊な悩みが追加されます。

Youtubeで見たのですが、養子であることを伝えずに育てた親に「裏切られた」として、子どもが親を訴えることもあるようです。子ども側の視点は想像ができませんが、親側の気持ちを想像すると涙が出ます。

子どもができなかった苦悩を乗り越え、養子を迎えるために厳しい様々な条件をクリアして、特殊な養子ということをどう取り扱うか悩みながらも、やっと育てた大切な我が子から訴えられる。どれほど苦しいことなんでしょう。私はそこまで子ども大好きではないので、そんな苦しみ耐えられません。

と、こんな考えもなしに、養子を取ればいいということは安易に言わないでほしいものです。

子どもが産めなくてかわいそうかどうかは、子どもを産めない側が決めたいです。一般論で「かわいそう」と、とられすぎて、話しにくい空気が子どもを産めないことより苦痛です。

DINKSであることに、最後は後悔しない!

DINKSであることは、みんなが選ぶ当たり前の人生ではありません。

だからこそ、葛藤があり、時には後悔する瞬間もないとは言い切れません。子どもを産み、育てるという当たり前の人生を選んだほうが、良いのかなと迷うこともあります。

それでも、DINKSの人生を選択したことを、後悔しないように生きていきたいと思っています。

DINKSのメリットも考えてみたので、ぜひ以下もご覧ください!最後まで読んでくださりありがとうございました!

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