DINKS(ディンクス)はDouble Income No Kidsの頭文字をとった言葉で、子どもを持たない人生を選んだ共働き夫婦のことを指します。
最近、子連れ専用車両ができたことで色々な議論が沸き起こっているので考えてみました。
私は子どもが産めない、かつ、子どもが苦手なので養子や不妊治療も望まないため、自身を選択子なしDINKとしている30代女性です。昨今目にする、多くの記事が「子持ち視点」で書かれていて、興味深かったので「子なし視点」で書いてみます。
攻撃的な書き方になっていたら、ごめんなさい。
子連れ専用車両とは
最近、鉄道各社で夏休み期間等連休を中心に、子連れ専用の車両ができています。子どもが泣いたり騒いだりするのが気になる親が選べる一つの選択肢になり、多様なニーズにこたえる一つの解決策になっています。
個人的にもうれしい施策で、ぜひ今後も続けていただきたいです。
ただそれに賛否両論があるようで、特に「子どものいる人」からの声が強いように感じました。
子連れはマイノリティで肩身の狭い状態なのか
子連れがマイノリティで肩身が狭い状態である。社会的弱者だからいじめられている。
という意見がありました。確かに、私のような考えの人が現れるくらいですから、そういう世の中なのかもしれません。
ただ、もっと肩身が狭くて、マイノリティなのが、「子なし夫婦」だと言いたいです。この子なしの定義は、子なし夫婦は「まだ」子どもがいない夫婦は除きます。今まで社会が見逃してきた「子どもを産まない、子どもを産めない人たち」に、配慮があるべきです。
子なしはもっとマイノリティ
女性の高学歴化、晩婚化が進んだ現代では、必然的に子どもを産む年齢が遅くなります。子どもを産むのが遅くなれば、妊娠しにくかったり、妊娠ができないケースも出てくるでしょう。背景が異なると思いますが、最近やっと不妊治療も公的補助が出るようになったくらいです。
また、子どもを産まない生涯独身の人も増えています。あえて結婚しない人もいると思いますが、結婚したくてもできない人も多いです。
「子どもが欲しかったけど産めない」、「結婚したくてもできない」、そんなマイノリティは、明らかな異端であり、家族が少ないことから比較的、経済的に豊かになりやすい傾向があるため、社会から叩かれやすい存在です。結婚して、子どもを産むのが当たり前の社会、またはそれが減ったので子どもを産むことが賞賛される現代で、未婚・子なしの肩身の狭さは、子持ちと平等だとは、言えないと感じます(あくまで子なし中心視点)
子どもの推奨はよくて、子なしの推奨は異端
早く結婚しなよ、結婚しないと後悔するよ
子ども産まないの?子ども産まないと後悔するよ
こういう言葉を直接的に言わないまでも、暗に伝えてくる人は多いです。
自分も言ったことがある、または言っているのを聞いたことがあるという人もいるのではないでしょうか?
この発言をしている人を見たとき「良かれと思っていっているのだろう」「おせっかいだなぁ~」くらいの印象しか抱かないでしょう。そう、悪気がないって、わかっているからこそ、言われた相手も「愛想笑い」で対処するのです。
なんで結婚したの?結婚なんかして楽しい?
えー子ども産んだの!?なんで!?産むと後悔するよ~
なんて、言う人がいたらどうでしょうか。「不快感を与えるようなこと良く言うな・・・」と思うのではないでしょうか。
一つ目の結婚は言う人もいるかもしれませんが、2つ目の発言は滅多に言わないでしょう。
緑色の「よくある発言」を、逆にしたものなのですが、特に2つ目のコメントは、人生で一度も聞いたことがありません。なぜでしょうね。
子どもが産めない人の視点から見る社会
子どもが産めない視点では、「社会の当たり前は残酷」です。そのため、「子連れがマイノリティで可哀そう」という視点のコメントを見るとどうしても、攻撃的な気持ちか、悲しい気持ちになってしまいます。
冒頭に「私は子どもが苦手」と書きましたが、年を重ねるにつれて子どもが可愛いと思うことも多くなってきました。「もしかして、子どもがほしいかもしれない」と思うことがあるのも、否定はできません。
でも、欲しくても、私は産めないので、不毛な考えであるとして、私はそこで思考を止めます。
不妊のつらさを考えてみてほしい
私は、子どもが産めないことが決定的であり、子どもが産めない前提で夫と結婚しているので、「不妊女性的にはラッキー」な部類だと、自分で思っています。
子どもがほしくて、何百万円も費やした。それでも子どもができなくて、何度も泣いて、何度もパートナーと喧嘩して、最後の最後に、子どもをあきらめた人の気持ちを、想像できますか?子どもを見るだけでツラい、子連れの幸せそうな家族を目にするのが怖い、そんな人がいることを、考えたことがありますか?
最近になって、不妊治療専門のクリニックも増えました。でも、いまだに「産婦人科」とする病院が圧倒的に多く、そこで不妊治療をする人もいます。配慮のある病院もごくわずかに存在しますが、多くの産婦人科が「婦人科」ではないこともあり、幸せいっぱいの妊婦や子連れの中に、不妊治療をする人が混ざる状況です。
「不妊」という課題の存在を理解している病院ですら、こんな配慮に欠ける状況です。子どもは幸せの象徴だから許されるのでしょうか。また、これまで不妊の同志だった仲間が、妊娠すると同志ではなくなってしまい、逆にSNSに我が子の写真をUPしまくる地獄を見せつけるようになる・・・。私は残酷な社会だなといつも思います。
そんな悩みを抱える人がいることを考えず、一部の人はこう言うのです。
子どもがいることで行動が制限されない世の中を作るべきだ。
子連れ専用車両などという変なものができる世の中は、おかしいと気づくべき。不寛容な社会になったものだ。
それに対して、こんな風には言えないのです。
不妊の人にも優しい世の中を作るべきだ。
私は不妊なのに、子どもを見せびらかされてツラく、配慮されていない。子どもを目に入れないために、子どもが行きそうなところは避けて暮らさざるを得ません。どうにかしてください。
子どもを作ることは生物として正しい行為であり、また、社会としても国に必要なものでありと子どもを持つべき理由はいくらでも並べられます。
そんな正論に対して、「そうですね」以外の言葉は言えません。
もちろん、子なし中心に社会を作ってしまったら、大変なことになるでしょう。そうあるべきだとは、思っていません。
ただ、子どもと密室に閉じ込められ、逃げる場もない環境である「公共交通機関」であるのなら、なおさらに、専用車両は必要でしょう。
「子どもの声は騒音か?」という議論もありますが、精神的に大きな音がダメな人もいます。いろんな人が、みんなハッピーになる方法を考えていけるといいですよね。
とはいえ「子なし車両」という名前は問題になるので、子連れ専用車両が最も角の立たないものだと判断されたのではないでしょうか。個人的には海外の電車であった「静かにする人専用車両」があるといいと思います。
多様性のニーズの一つとして子連れ専用車両はあるべき
子連れ専用車両が「子持ちを差別していて、それがより悪い社会を招いている」というのは、一部の視野の狭い子持ちの意見だと思います。そして、子連れ専用車両ができたことで、「子どもが目に入らないなら、それは幸せ」というのは一部のマイノリティな不妊の夫婦の意見でしょう。
でも、LGBTQの話題を中心に、良く出るキーワードである「多様な」社会の「多様性」のニーズの一つだという一言で片づけられることであるべきなのではないでしょうか。
多様性を理解すべき時代になった
「昭和のすごろく」と揶揄された、日本の当たり前の人生:「結婚して、子どもを産んで、夢のマイホームを買って、子どもや孫に看取られていく」、「幸せ」の基準が明確な時代は終わりました。
「生き残れるか」が重要だった100年前と比べて、「どう生きるか」が重要になった、今の時代の価値観は、更にもう一歩先へ進むべきだと考えます。
昔、男女差別が禁止され、今や男女の差は大きく縮まりました。男女差別の少ない時代に生まれ、男性と同じように学び・働く私からすると、医大の女性差別は衝撃的なものでした。それも大問題になるほど、男女差別は平等に近づいたと言えるでしょう。※これは女性の私視点であり、女性が男性より優遇される「逆差別問題」が男性としては深刻な社会になってきているかもしれません。
最近は、LGBTQ差別が禁止される時代になりました。法律は整備されきっていませんが、企業では同棲パートナーとの結婚が家族手当の条件に組み込まれるなど、社内規定が更新された会社も多いはずです。
人の多様性が認められ、人生の選べる選択肢が、圧倒的に増え、それが社会をより複雑化させ、多くの悩みと問題を生み出しています。幸せも多様、ゴールも多様、人生の選択肢も多様です。そんな世の中に息苦しささえ感じます。
LGBTQの次は、子どもの有無にも多様性があってほしい
「多様であること」を受け入れるべき社会になったのだから、子どもの有無についても受け入れるべきではないでしょうか。
社会的に少子高齢化という問題があり、社会にとっても、個人にとっても、将来を見据えると大問題なのは理解しています。だからこそ、この問題は、取り残されてしまうのでしょう。(社会的に、生物学的に、当然、子どもは産むことが正解)
でも、「すべての人が生きやすい世の中にするべきだ」というのであれば、マイノリティである子なしにも少しだけでも配慮して、子持ちも子なしも、より豊かに暮らせる社会ができていくといいなと私は思っています。
選択子なし視点というより、不妊女性視点が中心になってしまい申し訳ありません。最後まで読んでくださり、ありがとうございました!